余白と休符
学生の頃からブライダル挙式で演奏するお仕事をしている。
今も続けているそのお仕事で、今日とても自分の中に残ったことがあったので書きたいと思う。
もちろん式の詳細は書けないけれど。
ひとつだけ。式の中で行われるブーケブートニアセレモニーというものがある。
ブーケは、かつてヨーロッパでプロポーズの際に男性が自分で花を摘み、花束を作りそれを愛する女性へプレゼントした事が由来となっているが、このセレモニーはまさにそれを再現する形となる。
新郎は、入場する時に参列者から花を一輪ずつ受け取り、花束を作る。それを新婦にプレゼントする。
そのセレモニー自体も素敵だけど、
私の中で残ったのはそのセレモニーを行なっている時の新郎さんの余白の時間の所作の美しさだった。
例えば、一輪の花を受け取る。
そして次の人の元へ向かう間の余白の時間。
何事も"動"の部分は意識的に美しく見せようとすると思う。
でもこの方は"静"の部分が素敵だった。
最後には花束となる一輪の花達が綺麗になるよう、次の人の花を受け取りに行く前にちゃんと時間を掛けてひとつひとつ重ねて合わせていく。
その場にいる全員からの注目を浴びて緊張感のある中、その時間の使い方を出来るひとはなかなかいないと思う。
時間はかかる。でも、凄く美しかった。
それだけの想いがそこには込められているのだろうと感じて泣きそうになった。
そして一番前の祭壇までたどり着き花束を作る。
その手元は花を渡した人たちには見えない。
見えない人からすれば余白の時間だけど、そこでも丁寧に時間をかけてぎゅっとワイヤーを結び、そして最後そのワイヤーを内側にそっと閉まった。
大切なお嫁さんに渡す花束、手を傷つけてはいけないもんね。
当たり前のようなことだけど、そういう一つ一つの行動から強い想いを感じたのだ。
音楽でも、休符は色んな休符がある。
どうしても音がある"動"の部分に意識がいってしまうけど、休符の"静"の部分を魅せられる人の演奏にはやっぱり感動する。
今日、そういう大切なことを改めて気づかせてもらえた気がした。
どうかお幸せに。
そして感謝です。
帰りは、その花束に似た花を買って帰った。